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東急世田谷線の話〜【三軒茶屋→渋谷】

先日飲み会の席でいつもの悪いクセが出て「スピード社のレーザーレーサーが方南町のドンキで50%OFFで売られていた」と云う創作話をしてしまい、真に受けられて大変物議を醸してしまいました。
地球の自転速度に遅れが無ければ今年ももうすぐ終わってしまいますが、今頃になると誰でも夏より以前のコトは結構忘れてしまっているようですね。(私だけかな?)
今「スピード」と言えば「完全復活!4度目の紅白出場」です。
年末で皆様もお忙しいことでしょうし、こうやって原稿を書いていてもアチコチを走り回る先生方の足音がうるさいので、テンションノートの少ない平凡なイントロはこれくらいにして今回も「困った時の世田谷線」の続きを。

先月勝手に「鉄道珍百景」に認定してしまった若林踏切のある「三軒茶屋」~「下高井戸」間の路線は、渋谷と二子玉川間を路面電車のように走っていた「東急玉川線」の支線の一つでした。
「玉電」と言う愛称は長く引き継がれ、玉電を地下に移設したような形態となった東急田園都市線の同区間も最近までは(新しい玉川線)=「新玉線」と呼ばれていました。(こう呼んだのは私だけではありません)
1969年に廃止になる迄、路面電車時代の玉川線は三軒茶屋から先も国道246の上を「日野コンテッサ」や「プリンススカイライン」や「都営トロリーバス」と競い合いながら渋谷へと向かっていました。現在首都高の大橋ジャンクションの建設場所になっている所には大きな車庫もありました。
道玄坂の上からは今の渋谷のマークシティ方向へと進み、マークシティへの連絡通路になってしまった地下鉄銀座線と井の頭線の隙間を一気に渋谷駅の二階(山手線外回りのホームのある場所です)の終点迄ジェットコースターのように下っていったのです。車止の先には山手線の改札口があるのですがから、運転手さんもさぞやスリリングな毎日だったことでしょう!(先月からリストやムソルグスキーやD-51を口ずさんでいた方はここで終わりです)
いよいよ「オタク的要素の強い」内容になりますが、短い距離とは言えここの勾配はかなりのもので、JRで一番の急勾配であった信越本線の横川~軽井沢間(長野新幹線開通によってこの区間は廃止となってしまいました)と同じ66.7‰(1000mの距離で66.7mの高低差)でした。(関西の京阪京津線の蹴上駅周辺にも同程度の勾配があったのですが10年ほど前に廃線となりました。ちなみに国内に現存する路線では箱根登山鉄道の80‰がダントツ1位です)
何しろ2両編成全長で30m程度の電車の両端で2mもの高低差が生じるのですから、玉川線の乗ってこの地点に電車が進入すると吊革が徐々に斜めになっていくのが判りました。(そんな光景を見て喜んでいたのはさすがに私だけでした)
この区間の勾配には及びませんが現在身近で似た光景に遭遇できるのは都電荒川線の「王子駅前」~「飛鳥山」間かと思います。下りの京浜東北線に乗って王子駅を出発した直後、左側に急坂を登っている都電の路線を見ることができます。
東急世田谷線の話も渋谷駅迄来てしまったので今回はこの辺で穏やかに終わります。(表題も年齢相応に「玉電回想」とかにした方が渋くて良かったかな?)

(何かの間違いで)今年一年このコラムを読んでくださった方々、どうも有り難うございました。まったく何の役にも立たなかったでしょうが忍耐力だけは増進した筈です。
次回は新春特大号です!物議を醸した飲み会の二次会で「あれれ~声が/声変わりくん(単なるヘリウムガスです)」を吸いながらPerfumeの「ポリリズム」を歌ったノリで続けてみます。[東急線運賃体系の不思議]とか[地下鉄銀座線珍百景]とか・・・・楽しみにはしないで下さい。

=月並なエンディング(C→Fm6→C△7)ではありますが忍耐力の強くなった皆様「どうぞ良いお年を!」=

東急世田谷線〜【下高井戸駅】【六所神社前駅跡】【若林踏切】〜

それにしても食品偽装の問題は後を絶ちませんね。先日近所のスーパーで「100年前のビーフカレー」と書かれたレトルトカレーが売っていました。いくら何でも消費期限が長過ぎです。となりに「鳥肌の立つチキンカレー」と云うのもあったのですが大丈夫なんでしょうか・・・・
と、ここ迄は時事問題を挟みながらのイントロは快調だったのですが、どうにも今回は「ネタ」が足りません。このコラムが寿司屋だったら先月で潰れてます。(ちなみに筆者の僅かな経験では「寿司屋」は一般的な料金で「鮨屋」の方は料金が高いです)
「♪短い針が君ならば、長い針が僕で、そしてあいつは秒の針・・・・」と云うような巧みな補作詞。「陽は、また昇る=アラジン」の「♪がんばれニッポン~」から「シング(Sing)=カーペンターズ」の子供達のコーラス「♪ランララララー~」へと進行する微妙なメドレーアレンジ。この手のネタはいろいろと出てくるのですが、ここは「オタク的要素の強い電車コラム」です。そんな事情で今回は(苦し紛れに)趣向を変えて「鉄道珍百景色」的なモノを集めてみました。TVの「ナニコレ珍百景」的な雰囲気を醸し出すために、お手数ながらフランツ・リストの「死の舞踏」やムゾルグスキーの「キエフの大門(展覧会の絵)」のメロディーを思い浮かべながらお読みください。

【下高井戸駅】
困った時は突っ込みどころ満載の東急世田谷線。先ずは下高井戸駅へ行ってみました。ここには路線の両脇からレールに向けて水を噴射する設備(急カーブなのでレールの摩耗を防止する為)がある筈。駅の傍にはイタリアンレストラン「ピッツェリア・トリーノ」もあるし「よーし!」トレビの泉と引っかけて、題して「線路脇の噴水」これで掴みは上々と思っていたのですが、来てみるとなんと水が出ていません。アレーッ!春頃下高井戸シネマに「ミス・ポター」を観に来た時には水が出ていたのですが・・・・オタク情報に拠れば、先頃「摩擦調整剤塗布装置」(←堅いネーミングです)が設置された為、水撒き設備は撤去されてしまったとのことです。
幸先の悪いスタートです。しょうがない「イタリア」「トレビ」と来れば強引に遺跡繋がりで、山下駅~松原駅間に残る「六所神社前」駅跡でも。

【六所神社前駅跡】
その名の通りこの駅は「赤堤六所神社」の前にあります。
ここからは谷川賢作氏(あの谷川俊太郎氏のご子息です)作曲の「その時歴史が動いた」のテーマソングを思い浮かばながら松平定知さん風に読んでください。「六所神社は天正十二年(1584年)平定盛の数世の孫「服部定殷」が府中の六所宮(現在の大國魂神社)を遷宮したのが始まりです。それ以前は室町時代にこの地一帯を治めていた吉良氏が本拠世田谷城の支城として北方の守備の為に設置した赤堤砦があったと伝えられています。ここが赤土の出る砦(堤)であることから現在の赤堤と言う地名の由来となっています。」てな郷土資料館的な話は別として、この神社は毎年9月の例祭に「京都の恋」「京都慕情」=作曲:ベンチャーズ=でお馴染みの渚ゆう子さんがライブをすることで(地元では)ちょっと有名です。ベンチャーズファンの方々には侮れないスポットですぞ!
駅が廃止されて半世紀以上経った今でも、路線の横にコンクリートで造られた当時のホームの基礎がしっかり残っています。行楽の秋です。皆様もご家族や恋人や特殊関係人と一緒にここを訪れてみられるのは如何でしょうか?「吹けよ風、呼べよ嵐」伝説のピンク・フロイド箱根アフロディーテライブのような雰囲気に陥ることは間違いないでしょう。五里霧中。

【若林踏切】
次は少々三軒茶屋方向へ足を伸ばし西太子堂駅~若林駅間にある「若林踏切」です。思い浮かべて頂く曲の指定は特に無いのですが、どうしてもと言うなら「D-51」の「ALWAYS」でも・・・・
環状七号線を利用されている方はご存知でしょうが、ここは鉄道より道路の通行の方を優先している国内でも数少ない場所です。踏切であっても車には一旦停止の義務はありません。「道路側の信号が赤になるまで道路際で歩行者と一緒に信号待ちをしている電車の姿はなかなか微笑ましいものです。」とここで終わっては「ニュース7」のようなほのぼの系のエンディングになってしまいます。もう少し「電車コラム」らしいアウトロにしましょう。「三丁目の夕日」時代の私の記憶なのですが、今と違ってここは道路側に遮断設備のある当たり前の踏切でした。しかしこの付近は道路の幅が広いため、両側から伸びた二つのポールが上下する一般的な構造の踏切とは異なり、道路の両脇に立った電信柱くらいの高さの鉄柱に黄色と黒に塗られた警告版を何枚もぶら下げたロープが張られ、電車が近づくと上から降りてくる仕組みになっていました。(業界用語では「自動水平式遮断機」と言うようです。これもまた堅苦しいネーミングです)今となっては「テルミン奏者」や「ペダル・スチールギター奏者」並にレアな職種となってしまった「踏切番」のおじさんが、船の舵のような大きいハンドルをぐるぐる回して操作をしていたものです。
私にとって世田谷線の想い出はなかなか尽きないのですが、今回はこのくらいで。

=では次回(があれば)また=

=明大前駅の不思議=

東京では日中はTシャツでもOKなのに、日の入りは夏至の頃と比べると一時間半も早い五時半!テレビを観れば大雪山では初冠雪!とかやってます。
マァややこしい季節になりました。
「♪君がいた夏は遠い夢の中(1990)」「♪波音が響けば雨雲が近づく(1982)」「♪波に向かって叫んでみてももう帰らないあの夏の日(1966)」「♪夏の想い出恋しくて一人だけで来てみたのよ(1965)」9月もCodaに近いのにとうとう一度も海に行けなかったし、「駅の不思議」も見つけられなかった私にとっては、ネガティブな歌詞ばかりが頭に浮かんできます。(それにしても古い曲ばかりですが・・・)
今年の夏は「日暮里・舎人ライナー(日暮里=見沼台親水公園)」「シーサイドライン(新杉田=金沢八景)」「横浜市営地下鉄(あざみ野=湘南台)」「東京メトロ副都心線(渋谷=池袋)」と比較的最近に開通した路線にチャレンジしてみました。怪しげな場所はそこそこにあるのですが、一回や二回乗ったくらいでは謎の解明などには遠く及びません。苦しまぎれに今回もまた乗り慣れた路線になってしまいました。

=明大前駅の不思議=
京王線と井の頭線、同系列の会社の二つの路線が交差(2階京王線ホーム、1階改札口、地下1階井の頭線)しているだけの一見シンプルな駅なのですが、中の構造たるや階段やエスカレーターが幾重にも複雑に入り組んでいるので案内板に注意しないと思いもよらぬ場所へ行ってしまいます。
私もこの駅で乗り換えをするたびに、自分がエッシャーの「だまし絵」の中に入り込んでしまったのではないかと錯覚してしまいます。(な訳ないですよネ)これだけでもツッコミどころ満載なのですが、この駅ではもっと不思議な光景を見ることができます。
井の頭線ホームの吉祥寺駅寄りの先に玉川上水をくぐるガードがありますが、そこの入口がなんと4カ所もあるのです。井の頭線は複線ですからどう考えても2線分多い!のです。今回はこの謎に挑戦です。
以前「吉祥寺駅の不思議」の項でも少々書きましたが、戦前の都市計画には山手線の外側に何本かの環状(的な)路線を造る案がありました。その一つに東京山手急行電鉄が申請した「大井町=雪が谷=自由ヶ丘=駒沢=梅ヶ丘=明大前=中野=江古田=板橋=田端=北千住=大島=洲崎」という壮大な第二山手線計画があったのです。明大前駅はその路線と接続駅になる予定でした。使用されていない余分な2線分の入口は、幻になってしまった路線の痕跡なのです。
と、この辺で終わっておくのが奥床しいのでしょうが、地元民としては少々余計なことを・・・・
梅が丘駅の北側から明大前駅方向に向かって真っ直ぐに伸びているこの界隈としては無駄に幅の広い道があります。500mも進むと突然途切れてしまうので交通量もあまり多くありません。何か妙な雰囲気が漂います。
東京山手急行電鉄は当時かなりの用地確保をしていたとの記録もありますのでひょっとしてこの道路は・・・?
信じるか信じないかは「私」の自由なのですが、お暇な方は今なにかと話題のGoogleストリートビューで「世田谷区松原6-4-14」あたり、北沢警察署前の道路を覗いてみてください。何にも感じない貴方は正常です。

=では次回(があれば)また=

=小田急ロマンスカーの不思議=

[駅の都市伝説?]
今回も何気なく通り過ぎてしまっている首都圏の駅の不思議を探ってみようとは思ったのですが・・・・
何が決まったのかはよく解りませんが、トッシーやUFOが現われることもなく洞爺湖サミットも無事終了してホットしています。(なんて柄にもなく時事ネタから始めてみました。天下のサミットと私ごときとの微妙な関係は後ほどで)
それにしてもいつからG7がG8になったんでしょう。将来はG9やG11になっていくのでしょうか?G13にでもなったら私はもう G sus4と区別が付きません。
本来なら[駅の都市伝説]と言うことで私はネタ探しに都内の駅を徘徊(?)しなければならないのですが、このところの警備の厳しさはターミナル駅ばかりか地元の下北沢駅にまで及んでいました。
私の記憶ではその昔の下北沢駅には北側と南側を小田急線の下をくぐって結ぶ地下通路があった筈で、現在の複々線化工事が進行しないうちに何とか痕跡の一つでも見つけて[=下北沢駅の不思議=PartⅡ]とでもなれば・・・・と考えていたのですが、なにしろ二人連れ(!)のおまわりサンと工事現場のガードマンさんの視線がとても眩しくて!
治安の維持の為には当たり前のことでしょうが、小心者の私としてはアウェイな雰囲気から何としても逃げ出したい一心から駅に用事があるフリでもしなければと、旅行の予定も無いのに駅員さんからロマンスカーの時刻表を貰って窮地を脱したのです。

=小田急ロマンスカーの不思議=
座席指定の特急列車を「ロマンスカー」と名付けたのは小田急が最初とのことですが何とも気恥ずかしいネーミングです。「新婚旅行は熱海」なんて云う時代が蘇って「羞恥心」で胸が一杯となるのは私だけなのでしょうか?(どうせ私だけでしょうネ!)
(レイ・チャールズの「ホワット・アイ・セイ」並みの長~いイントロになってしまったのですが)今回のキモはここからです。
今年の3月から東京メトロ千代田線に特急列車を乗り入れると云う暴挙で(ごく一部のマニアの)注目を集めた小田急線ですが、その時刻表には何とも奇妙な列車の記載がありました。
毎月特定の週の土曜・日曜限定なのですが、それは「ベイ・リゾート」と称した本厚木⇔新木場を結ぶロマンスカー(恥ずかしい!)でした。
厚木や町田在住の人が東京ディズニーランドに遊びに行くのには便利かな?なんてお気楽に見ていたのですが、アリャ!「新木場」は有楽町線の終点です。千代田線の駅じゃないですよネ。
東京メトロもなかなか侮れません。有楽町線車両の点検を千代田線と接続している綾瀬修理工場で行なう為に、有楽町線桜田門駅と千代田線霞ヶ関駅の間に(内緒で?)線路を敷いていたのです。その線路を利用して「ベイ・リゾート」は運行されている訳です。
日常、有楽町線⇔千代田線の乗り継ぎは中々辛いモノがあります。せめて朝夕のラッシュ時くらいこの線路が利用できたら随分便利なのでは・・・・と思うのは私だけでしょうか?(今回ばかりは私だけではないと思うのですが!)

=では次回(があれば)また=

=下北沢駅の不思議=

[駅の都市伝説?]
今回も日常何気なく通り過ぎてしまっている首都圏の駅の不思議を探ってみました。

=下北沢駅の不思議=
下北沢は小田急線と京王井の頭線の接続駅です。異なる私鉄同士の乗り換え駅なのですから、常識的に考えれば両線の間に改札がある筈なのですが。
と、今回はサビアタマ(私どもの年代では Beatlsの「Can't Buy Me Love」あたりが代表曲なのですが)から始めてみました・・・・ でもあまりインパクト無いですネ(苦笑)
だいぶ以前の出来事になりますが、私が小田急線と井の頭線の奇妙な関係を気になりだしたのは些細な発見からでした。
残念ながら最近廃業してしまったのですが、下北沢南口商店街にあった昭和の香り漂う肉屋さんの(上にグリンピースの乗った)焼売の味は、いつまで経っても成長しない私の味覚と相性が良く、週に一度は買いに行っていました。
ことの起こりは、その肉屋さんの壁に貼ってあった古い1枚の赤茶けた地図からでした。そこには住宅街を通り抜け小田急線と井の頭線を結ぶ怪しげな線路が表示されていたのです。
最近は廃墟・廃線探索が隠れたブームのようで、既に撤去されているこの路線も「代田連絡線」と称され(マニアには)かなり知れ渉っているようですが、なぜこのような路線が存在したのでしょう?
話は(例によって)戦時中に遡ります。1945年の東京大空襲で井の頭線の車両の殆どが焼失してしまいました。それにより緊急に車両を補充する必要が生じ、当時同じ東急系列であった(ここがキモです)小田急線から車両を借用する為にこの全長650mの線路を何と1ヶ月弱(!)敷いてしまいました。そんなこんなで戦後しばらくまで小田急線と井の頭線は同じ会社だったのです。
下北沢駅に今でも乗り換え改札の無い訳にはなかなか奥深いモノがあります。
でも未だこの連絡線が存在していたら・・・・
渋谷→江の島(ざわめく交差点、シアタービルの2階で5時に雅之サン桃子サンが待ち合わせ。そして電車で江の島の海に)楽しそうですネ。
新宿→吉祥寺(毎日のように遅れや運休が生じる中央線の代替として)あまり楽しくなさそうですネ。

=では次回(があれば)また=

=西武新宿駅の不思議=

今回も日常何気なく通り過ぎてしまっている首都圏の駅の不思議を探ってみました。

=西武新宿駅の不思議=
「西武新宿」なんとも微妙なネーミングです。同じ西武線でも池袋はあまり西武池袋とは呼びません。かと言って小田急線の「(南)新宿」や大江戸線の「(東)新宿」ほど謙虚な名前ではありません。どうもこのあたりに西武新宿駅の悲しい歴史があるような気がします。
西武新宿線からJRへの乗り換えは誰でも高田馬場駅を利用するでしょうから、新宿プリンスホテルを利用する人や歌舞伎町へ遊びに行く人以外には何とも不便な立地です。今はドーナツ現象(?)や宮崎ブーム(!)の影響で新宿駅は南口方面が話題になっていますし、私にとってはフェイバリットソングである「恋の西武新宿線」=あの「H.S」さんがドラムス&ボーカルをしていた伝説のグループ「A」のセカンドシングル(1975年リリース)です。名曲です!=の印象も強く西武新宿駅はどうしても昭和チックな感が拭えません。西武新宿線はあと少しの距離を残したまま、どうして新宿駅へ乗り入れなかったのでしょうか?
例によって話は戦時中に遡るのですが、西武池袋線・西武新宿線は当時強い勢力を誇っていた東急グループに吸収されそうになったことがありました。(前回掲載の池上線は吸収されてしまいましたが)西武鉄道側はこれに抵抗し続けました。このような経緯もあってか西武は当時東急グループの傘下にあった小田急線との接続を非常に嫌ったと言われています。
しかし戦後になると各私鉄間の熾烈な争いも収まり、1960年頃には新宿駅ビルの建設計画も始まりました。そのような状況の中で西武鉄道は従来より保有していた路線免許を利用して新宿駅までの延長を計画しました。
実はここからが今回のキモなのですが、新宿駅ビル(現在のルミネエスト)の2階へ上がってみると天井が他の階より高くなっているのが判ります。ナントここに西武新宿線の駅が造られる予定だったのです!
しかしその後、西武新宿線の利用者が増大し、ビル内のスペースではターミナル駅として手狭との判断から、この計画は幻となってしまいました。
1997年に完成したPePeやプリンスホテルの入った25階建ての「西武新宿駅駅ビル」が西武新宿線の新宿駅乗り入れ断念の証なのでしょうか・・・・・
西武新宿駅のすぐ近くに大江戸線の駅があります。「新宿西口」駅、なかなか謙虚な名前でグーです。

=ではまた次回(があれば)また=

=五反田駅の不思議=

今回も日常何気なく通り過ぎてしまっている首都圏の駅の不思議を探ってみました。冤罪事件が多発する昨今、今回も写真が無くて恐縮です。

=五反田駅の不思議=
ご存知のように五反田駅はJR山手線ホームの大崎寄りで東急池上線と連絡しています。
接続場所の周辺を眺めると、池上線は高架を走っている山手線の更に上を跨ぎ、山手線を乗り越えそうな位置で突然途切れてしまっています。
私は以前から何となくこの光景に違和感を感じていました。ライブ盤の「ホテル・カリフォルニア(イーグルス)」の唐突なエンディングや慶応義塾の応援歌「若き血」の上がりっぱなしのメロディーでの終わり方を耳にした時のような「座り」の悪さが残るのです。(イーグルス及び慶応義塾関係者の方、気を悪くされたら申し訳ありません。因に文責は武部博にあります。)
そもそも東急池上線の前身である池上電気鉄道は、都心より日蓮宗の大本山である(池上)本門寺への参拝客の利便をはかるように計画されました。
1922年蒲田から建設を始めた池上電機鉄道は池上を経由し目黒を目指ていましたが、その時には既に目黒側から蒲田へ向けて後の東急の総師となる「五島慶太」率いる目黒蒲田電鉄(現在の東急目黒線、多摩川線)の建設が先んじていたのです。
そもそもこれが悲劇の始まりなのですが、併走する線路同士の熾烈な競争に破れた池上電気鉄道は当初の目黒を諦め五反田を目指さざるを得なくなりました。
なんとか巻き返しを計るべく、路線を延長し白金を経由して品川で京浜電気鉄道(現在の京浜急行電鉄)と接続する計画を立てたのですが、資金難に陥っていた池上電気鉄道は五反田から先の延長を見ずになんと(!)ライバル社であった目黒蒲田電鉄に吸収合併されてしまいました。そして戦後、東急池上線となったのです。
そんな過去もあったせいか、東急各線の中でも池上線の車両の冷房化は遅かったようです。未だに昭和の雰囲気を漂わせている駅も多いような気がします。チョット恐い話です。五反田駅で山手線ホームから池上線への乗り換え階段を昇る時、何となく気が重くなってしまうのは私だけでしょうか・・・・?
間違いなく私だけです。

=では次回(があれば)また=

=吉祥寺駅の不思議=

[駅の都市伝説?]
今回は日常何気なく通り過ぎてしまっている首都圏の駅の不思議を探ってみました。出来れば写真も付けたかったのですが、まあデジカメ片手に昼間っから怪しげな風体のオヤジが駅構内をウロウロしていたら・・・・映画「それでもボクはやってない」の加瀬亮サンみたいになってしまいそうなので、そのへんは追々と云うコトで。

=吉祥寺駅の不思議=
井の頭線吉祥寺駅からJRの中央線総武線に乗り換える時には、井の頭線改札口を出たあとに階段を降りなければなりません。JRの改札口の場所と高さを合わせるつもりだったのなら、どうも井の頭線のホームの方が高すぎます。なんか間奏でセンターに出てきて張りきってメロを弾いていたのに、チョーキングのやりすぎで音程が上がりすぎてしまったギタリストみたいに格好悪いですよね。
井の頭線が開通した当時は今と違って中央線総武線は地上を走っていましたし、何故あの位置に井の頭線の駅を構える必要があったのでしょう?

実は井の頭線は中央線を乗り越えてもっともっと北へ進もうとしていたようなのです。
戦前の都市計画には山手線の外側に何本かの環状(的)路線を造る案があり、さまざまな事業者から当時の鉄道省に鉄道建設の為の免許の申請がありました。
そのひとつに東京山手急行電鉄と云う会社が「大東京鉄道」と称して[鶴見→経堂→下高井戸→荻窪→下井草→練馬→川口→金町]と云うトンデモないルートの申請をしていました。
どうも井の頭線はその路線の下井草付近での接続を考え、路線の延長を検討していたようです。残念ながらこの「大東京鉄道」はその後の世界恐慌などの影響で1936年頃に免許失効となったようですが、許可した当時の鉄道省も随分と太っ腹と言うか夢があったと言うか。

でも、もしこの路線が完成していたらとても便利ですね。環七や環八は今よりもっと空いてるでしょう。東京を南北に走る鉄道路線なんて、最近出来た東京メトロ南北線と多摩モノレールくらいしかありませんもんね!

「すべてのモノに理由はある」by:Soft Bank CMのおとうさん。
「すべての文責は武ちゃんにある」by:今回のGhost Writer

= では次回(があれば)また =

都営地下鉄の巻 都営大江戸線

都営大江戸線は、1972年(昭和47年)3月に東京圏高速鉄道網整備計画として、都市交通審議会から答申された 13路線の中の 1路線です。
 
大江戸線は他線との相互乗り入れをしない独立した路線であることから、小断面トンネル、小型化した車両・駅などの施設もコンパクトになっています。また、車両の推進力にはリニアモーター駆動方式を採用しています。軌間は 1435mm 電車線電圧直流 1500V となっています。
 
グランドハイツ跡地(光が丘)の大規模住宅団地建設に伴う交通機関の必要性から、1985年(昭和60年)工事許可を取得し、1986年(61年)、練馬 〜 光が丘間の工事に着手しました。
1990年(平成 2年) 練馬 〜 新宿間の工事を開始。
1991年(平成 3年) 練馬 〜 光が丘間 3.8km が開業。
1997年(平成 9年) 練馬 〜 新宿間 9.1km が開業。
 
大江戸線の車両は、小断面トンネルの採用から、長さ 16.5m 幅 2.5m 高さ 3.15m で、これまでの車両より一回り小型化されています。加速度は 3.0km/h/s 減速度は常用 3.5km/h/s 最高速度 70km/h に設定されています。現在、1次車:6両× 5編成 2次車:6両× 1編成 3次車:8両× 9編成+2両× 6編成 4編成:8両× 38編成 の 424両で運行されてます。
 
車両基地は、光が丘の先の "高松車庫" と、門前仲町近くの "木場車庫" の 2カ所となっています。
 
 高松車庫:最大留置能力 128両
 木場車庫:最大留置能力 312両
 
車両の全般・重要部検査は馬込車両検修場でも行われています。このため大江戸線汐留駅と浅草線新橋駅構内を連結する汐留連絡線があり、修繕の際は専用の機関車を使い回送運転が行われています。

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